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名古屋家庭裁判所 昭和54年(少ハ)2号 決定 1979年9月03日

少年 S・T(昭三四・一〇・七生)

主文

本件申請を却下する。

理由

(本件申請の要旨)

少年は、中部地方更生保護委員会第一部の決定により昭和五一年一二月二一日富山少年学院から仮退院を許され、名古屋市中川区○○町×の×溶接業A方異母兄Bのもとに帰住し、名古屋保護観察所の保護観察下

に入り、保護観察を実施中、下記の行為があつた。

一  仮退院後昭和五三年九月二五日まで異母兄とともに溶接工として上記A方に住込稼働していたが、この間(1)無謀運転により友人の乗用自動車及び雇主のライトバンをそれそれ横転大破せしめたが事故申告をせず、(2)初心者マーク不標示、スリッパ履運転で反則金二回納付、さらにスピード違反一回があり、(3)仕事の都合として保護観察所の許可を得ないで岐阜県恵那市及び神奈川県少田原市に長期間無断転居した。

二  昭和五三年九月二五日友人の乗用車を借りて長崎県佐世保市に至り、同市内に借用車を妄に乗り捨て、おば宅又はサウナに数日泊り、広島県福山市に移り船舶塗装に約一か月従事し、再び佐世保市に戻り、素行不良と思われるCと交際し、競輪、パチンコ、ディスコで夜遊び等にふけり徒遊していた。

この間ときには担当者宅に電話連絡したものの所在を明らかにすることは拒否していた。

三  昭和五三年一二月一三日から名古屋市に帰り、○○区内の運送会社○○○○に運転手として、同社寮に住込み稼働したが、真面目に働く意欲は見られなかつた。

四  上記会社で稼働中、寮生活逸脱、無断欠勤、遅刻、早退、商品粉失、車両事故が相つぎ、昭和五四年二月一六日上司から解雇を言い渡されて以来友人宅を転々とし素行不良の者と交際していた。

五  上記解雇当日、上司と言争いその足を数回蹴り上げ、翌一七日には二月分給料及び以後の生活保障金の支払を要求し、さらに昭和五四年二月二一日及び二二日にはやくざ風の者三名を伴い、気勢をあげてその支払を強要した。

六  昭和五三年九月二五日前雇主A方を出奔以来一方交通指示違反や、近くは昭和五四年二月頃鉄道踏切り進入を重ねており、昭和五三年一二月一八日には名古屋家庭裁判所において重ねて保護観察(交通短期)に付されたが、名古屋保護観察所の指示による集団処遇には無断欠勤した。

七  昭和五四年二月二七日無許可で岐阜県下に転居した。

以上の行為は、少年が仮退院に際し遵守することを誓約した犯罪者予防更生法三四条二項に規定する法定遵守事項並びに同法三一条三項の規定により同更生保護委員会第一部が定めた特別遵守事項(1)どんな仕事でもそれに打込んで辛抱して働き、貯金に努めること、(2)兄の指導をよく守り、家出放浪は二度としないこと、(3)いかがわしい人とは決して交際しないこと、(4)保護司を毎月二回以上訪ね、真実を打明けて指導をよくうけること、に明らかに違反している。

名古屋保護観察所においては、雇主の協力を得て綿密な保護観察を実施するとともに、前記雇主A方を出奔以来、接触の都度強くその生活態度について指導を繰り返してきたものの、一向に改善の兆しなく、拒否的、反社会的行動は高まつているものと認められる。

保護者としての異母兄や実兄の監護は期待できず、単身生活のままの保護観察によつては到底改善更生は望めないので、再度少年を矯正施設に収容して徹底した教育を行うことが相当である、というのである。

(当裁判所の判断)

一件記録を調査して検討するに、少年は、昭和五〇年九月二三日当裁判所において窃盗、住居侵入保護事件により中等少年院送致の決定を受け、約一年三か月間の収容処遇を経て昭和五一年一二月二一日富山少年学院を仮退院し、名古屋市○○区○○町×の×A方異母兄Bのもとに帰住し、名古屋保護観察所の保護観察下に置かれたものであるが、昭和五四年二月二三日付発付の引致状により同年三月六日同保護観察所に引致され、同日中部地方更生保護委員会第二部において戻し収容申請について審理を開始する旨の決定がなされ、同日以降名古屋少年鑑別所に留置されるに至つた。留置中の昭和五四年三月一四日付で本件戻し収容申請がなされたので、当裁判所は同月一五日観護措置決定をなし、更に上記観護措置期間を同月二九日から更新する旨決定して少年の身柄を確保し、審理に当つたものである。

しかして、昭和五四年四月一一日に第一回審判を行つた結果、少年が前記のとおり少年院を仮退院後、名古屋保護観察所の保護観察下に入り、保護観察中、少年に本件申請理由に指摘の如き遵守事項違反が存したことは概ねこれを肯認することができるものであるが、本件については、その遵守事項違反の内容及び程度に徴し、少年の要保護性の点では、既に収容処遇を受けた期間、仮退院後の期間経過や少年の年齢等の諸事情をも併せ考え、少年を再度少年院に戻して収容しなければならない程の必要性が存するか否かについて、更に少年の行動を観察したうえ、慎重な判断をなすのが相当と認めて、少年を当裁判所調査官の試験観察に付した。

ところで、少年は昭和五四年二月二七日頃から岐阜県羽島郡○○町△△町××××番地所在の○○○産業ことD方に雇われ、同人方に住込んで長距離運転手として働いていたものであり、上記試験観察決定の際も雇主の妻が審判に出席して少年を継続して住込で雇つていくことを了解し、少年も勿論それに異存はなかつた。

その後、少年は、○○○産業において長距離運転手として比較的仕事は順調にやつていたものの、昭和五四年五月から七月の間に重量超過、速度違反、駐車違反を犯し刑事処分や反則処分を受け、また交通違反が重なつて免停処分を受けたことなどから、自動車運転手として自信を失ない昭和五四年八月二八日頃○○○産業を退職するに至つた。そして、その後異母兄Bの世話になり、同人の勤務先である○○組で溶接工の仕事に従事していることが認められる。

以上の約五か月間の試験観察中、少年は交通法規にたびたび違反したもので、遵法精神の欠如を窺わせるに十分ではあるが、右違反はそれぞれ独自に刑事処分或いは反則金が科され制裁を受けているものであり、その他少年の生活態度には、殊更咎めだてしなければならない程の逸脱行動は何ら認められず、もとよりその間に交通違反を除く一般非行を犯した形跡はなく、このことは既になされた収容処遇により窃盗等の非行性は改善されたものと認められ、少年の性格、環境等に照らして少年自身もかなり自己の行動を抑制し努力した結果と見受けられる。

少年は間もなく成人に達するし、今ここで少年を少年院に戻して収容することはかえつて自棄的行動を助長するおそれがあり、少年の将来に好結果をもたらすものとは認め難い。

もつとも、現在の少年の環境は決して満足すべき状態ではなく、職場も安定したものではないが、異母兄B及び雇主などの援助と協力によつて、少年の立ち直りと将来の生活状態の安定を図るのが最も適当な方法であると思料される。

なお、本件申請書指摘の交通短期保護観察も終了し、一般保護観察における保護司との接触も概ね順調とみられる現段階では、少年を戻収容する必要性は認め難い。

よつて、本件申請は理由がないので、これを却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 横山義夫)

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